2012年4月14日土曜日

Japanese andromeda

たまたま辞書を引いてて、こんな単語を見つけた。


Japanese という形容詞がつく英単語は、それなりに辞書に載っている。
しかしそのほぼトップに、こんな、妙にインパクトのある単語があるとは知らなかった!

2012年3月@城南宮
ちなみに和訳は「アセビ(馬酔木)」だ。植物の名前である。

正直に言うと今までアセビという名前を知らなかったのだけど、説明を読んでピンと来た。

庭園で意外とよく見かけるこいつか!→


さて、問題は「どうしてアンドロメダが出てくるんだ」ってことなのだけど、どうやら Andromeda と呼ばれる一群の植物があるらしい。
もっと正確に言うと、ツツジ科のヒメシャクナゲ属がそれだ。

ヒメシャクナゲ(ヒメシャクナゲ属ヒメシャクナゲ)は高山の湿地帯に生えている花で、日本なら尾瀬などで見られる

世界中にも仲間がいて、スウェーデンの博物学者リンネもヒメシャクナゲを目にした。
もちろん、あらゆる動植物を属と種の2つの名で分類することを提案した、あのリンネだ。
彼がヒメシャクナゲに与えた名が、Andromeda polifolia だったのである。

その経緯が以下のサイトで詳しく述べられていた。
Art + Botany: The Illustrated Journals of Carl Linnaeus

同サイトで引用されている、リンネのコメント。

彼女[ヒメシャクナゲ]は花開く前に血のように赤いが、咲くや否や花びらが肌色になることに、気がついた。彼女の魅力に敵うような少女の肖像画を描いたり、あるいは少女のほおをこれだけ美しく粧うことのできる芸術家はいまい。[しかも]その美しさに手を貸す化粧は存在しないのだ。彼女を見ていて、私は詩人達が叙述するアンドロメダを思い浮かべた。そして彼女[アンドロメダ]のことを考えるにつれ、この植物とよく似ているように思われた。

彼女の美しさが保たれるのは、彼女が処女である限りにおいてである(女性についてもしばしば言えることだ)。すなわち、彼女が受胎するまでだ。花嫁となれば、そう先のことではない。遠く水の中に固定され、まるで海の真っ直中の岩に固く縛られたかの如く、いつも沼地の茂みの中にいる。水は彼女の膝の上に、根より高くにやってくる。そして、いつも毒々しいドラゴンや獣、すなわち春の繁殖期に彼女へ水を浴びせる悪いガマやカエルがいる。彼女は立ち尽くし、悲しみで頭を垂れる。するとバラ色をした彼女の小さな花房はうなだれて、どんどん色がさめていく…

詩人だねえ、リンネさん。

でも、アセビはヒメシャクナゲと同じツツジ科ではあるけど、ヒメシャクナゲ属(Andromeda)ではなくアセビ属に属する。
つまり正式な学名はPieris japonica(japonica亜種)だ。

なんで Japanese andromeda という異名がついたんだろう。
少なくとも、リンネのコメントはアセビには全く当てはまらない。

ご存じの方がいたら是非教えて下さい。

2012年4月7日土曜日

引っ越し、完了

昨日、研究室の机が決まったので、今日、早速荷物を運び込んだ。

デスクトップPC一式や多数の辞書類を運搬するため、研究室から台車を拝借。
家から研究室まで3km強。どうにかなるだろうと思ったら…予想外に困難だった。

まず、横断歩道から歩道へ乗り上げるときの段差がきつい。また、ブロックを敷き詰めた歩道はガタガタするので台車上の荷物がどんどんずれる。
そもそも歩道が狭すぎて通れないところもあり、車道を通らざるを得ない場面も多数。その場合は側溝にはまると大惨事が待っているため、車にびくびくしながら真ん中に近い所を通る。

また、これまで意識もしなかった傾斜の数々が、私を苦しめた。一見何の変哲もない、数百mの歩道が、微妙に傾いていたため、常に力を加えて重心をずらしながら引きずった。相当な体力を消耗。
目に見えて傾いている道(非常に狭い一本道で迂回不可能)が先に現れたときは絶望するしかなく、その大変な予想をさらに上回る大惨事が待っていた。台車が転覆しかけて本と小棚が落ち、見事に傷が付いてしまったのだ。

ともあれ、何とか無事に研究室に着いたので良しとしたい。
また、車いすで移動される方の苦労を僅かばかりながら体感する機会にもなったと思う。あれはバリアフリーからほど遠い道だ。


大荷物がどいたことで、私の寝室が一気に広くなった。今日をもってようやく、2月29日から延々と続けていた引っ越しが終わったと言える。

2012年4月1日日曜日

ある植民地生活者の日記より

749912304日 地球へ単身赴任して800日目 晴れ時々曇り

今日は、9999年4月1日だそうだ。

この見慣れない数字は、今私が暮らす地球で、土着民がかつて使っていた暦(地域によってADとかセイレキとか色々な呼び方があったらしい)である。
暦に3種類もの単位を使う時点で不便極まりないし、一部の歴史学者以外からは忘れ去られていたのだが、最近、このAD暦がにわかに騒がれている。
この惑星であと275日が過ぎ去れば、AD暦で年を数えるのに使う4桁を使い切ってしまう。これは地球人が宇宙の破滅を予測していたからではないか、と主張する連中がいるのだ。

地球だけで騒がれるならまだ分かるのだが、我々の母星でも「警告!地球人は宇宙の滅亡を予言していた!」などという本がベストセラーになっているらしい。何と嘆かわしいことだろう。
一部の金持ちは惑星脱出ポッドを購入し、「滅亡」に備えているらしい。宇宙全体が滅びるのだったら、そんなものがあっても意味が無いと思うのだが…

さて。

4桁を使い切ることが、果たして暦の終わりを意味するだろうか。もし地球文明が存続していて、AD暦が今も使われていたなら、地球人は9999年12月31日の次を0年1月1日に戻すか、単純に桁を増やして10000年1月1日としたに違いない。

もう1つ説得力のある反論がある。

我々が地球へ進出したのは、AD暦で言えば6741年にあたる。
原始的な地球人が使う鉄の機械は我々のプラチナ(小惑星採掘の賜物だ)の前には歯が立たなかったし、レーザーガンに対しては「銃」と呼ばれるオモチャみたいな武器でしか対抗できなかった。さらに、たまたま我々の運び込んだ病原菌が彼らの個体数を激減させた。
結局、地球の文明は我々によってあっけなく滅んでしまったわけだ。どうして彼らがそれ以降の宇宙滅亡なぞを予測できようか。
もちろん、彼らが残した古文書にも、AD暦9999年の滅亡について語るものは無い。我々の侵略を予期した前触れも無い。もっとも、最近の発掘調査が正しいなら、随分前に我々の惑星を「発見」して、我々がいるとも知らずに能天気に喜んでいたようだが…まあ侵略した我々も野蛮すぎたが、ここ千年くらいは反省して地球人の生き残りを丁重に扱っているし、彼らの歴史をちゃんと研究しているのだから良しとしたい。

そうそう、地球の歴史と言えば、こんな話があった。地球では絶えず内乱が起きていて、滅ぼされてしまった小文化圏も少なくないのだが、その中に「マヤ」という人々がいたそうだ。ところがマヤが滅びてから500年後のAD暦2012年は、マヤの暦では桁を使い切ってしまう時期に当たったらしく、「マヤ人による地球滅亡の予言だ」と随分な騒ぎになったようだ。「予言書」と記された古文書がいくつか発掘されている。これを聞くと、当時の地球人を今の我々と重ね合わせてしまう。

ただ、彼らが本気だったのかは疑わしい。彼らには365日に1回だけ「嘘をつく日」があったというではないか。それがたまたまAD暦で毎年4月1日であり、今日のニュースで言及していたから知ったのだけど。

個人的には、当時の地球人が我々ほど馬鹿だったとは思いたくない。AD暦2012年の「予言書」とやらも、どうせ「嘘をつく日」に書かれたのだろう。



※この記事は、ありもしない宇宙人の日記を、私が和訳したものです。