2012年2月26日日曜日

京都密教枕の旅(1)

うちの研究室に3ヶ月間だけ、中国から留学生がやってきた。
初めての来日だそうだ。

折角なので観光案内を買って出る。こういうときでもないと、自分自身が観光する機会がないのだ。

京都到着から1週間後、そろそろ誘おうかと思っていたところへ一通のメール。

「ここのところ毎晩悪夢にうなされてます…」
(※会話は基本的に英語なので、大ざっぱに意訳、以下同)

日本に来てから早くも何が起きた、とか
まるでスパムメールの出だしだよな、とか
事情を知らない人がここだけ見たら「フラグ立った」と言うよな、とか
他人事のように内心ツッコミを入れたが、ちょうどいいので「気晴らしにどっか行きましょう」と返信。

「じゃあ安眠のお守りをくれるお寺で!」

いきなりリクエストのハードルが高すぎるがな。
まあ、我が国の八百万の神様なら一柱くらい安眠担当がおられるだろう…

「神社じゃなくて仏教寺院がいい!密教系で!」

さらにハードルが上がった。
まあ、彼女はチベット仏教を専攻しているので、少しでも自分の専門分野に近い所を見ていきたいのだろう。
しっかしそんな都合の良いところがあるのかよ。






…あった。

今熊野観音寺

平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、東寺において真言密教の秘法を修法されていたとき、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見られました。
不思議に思われてその方へ慕い行かれると、その山中に白髪の一老翁が姿を現わされ、「この山に一寸八分の観世音がましますが、これは天照大神の御作で、衆生済度のためにこの地に来現されたのである。ここに一宇を構えて観世音をまつり、末世の衆生を利益し救済されよ。」と語りかけられ、またそのときに一寸八分の十一面観世音菩薩像と、一夥の宝印を大師に与えられました。この時に老翁が立ち去ろうとされたので何びとかをたずねると、「自分は熊野の権現で、永くこの地の守護神になるであろう。」と告げられて姿を消されました。
大師は熊野権現のお告げのままに一堂を建立され、みずから一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのが当山のはじまりです。
平安時代末期のすぐれた為政者でもある後白河法皇は、熊野権現を信仰され、今熊野の地にも熊野権現を勧請され、当山のご本尊をその本地仏として定められ、深く信奉されました。
しかし源平争乱などの不安定な世情にあって、ご心痛の多かったことでありましょう。法皇は持病として、激しい頭痛がおありでした。そこで、頭痛封じの観音さまとして評判の高かった今熊野観音に頭痛平癒のご祈願を続けられたところ、ある日の夜に就寝中の法皇の枕元に観音様が現れ、病める頭に向けて光明をお差しかけ下さいました。すると永年苦しんでこられた頭痛が、不思議にもたちまちに癒えてしまいました。
爾来、法皇は今熊野観音を頭痛封じの観音としてさらに天下にお知らしめになり、益々篤く信仰されるようになりました。
その他たくさんの霊験記が伝わっていますが、頭の観音様とされ、また枕元に立たれたり夢にお姿を現されるとされています。

探してみるもんだ。

そんなわけで、安眠に効果があるという霊験あらたかな枕カバーをここで手に入れるためのツアーを決行。

東福寺→今熊野観音寺→泉涌寺→三十三間堂→いければ清水寺

というコース。


そして彼女と打合せ。
「集合は午前10時にしよう」と言われる。私は早起きが苦手なので一安心。
場所について彼女は何も知らないので、東福寺方面へ出る駅を指定した。しかし、留学生寮から駅までどうやってバスに乗ればよいのかいまいち自信が無い様子。
適当に教えてあらぬ方向に行かれても困るので、少し丁寧に解説。「この地図通りのバス停に乗ってね、9時10分のバスに乗ると10時に間に合うけど、9時40分に乗ると遅くなるよ」と。

返事が来た。

件名:I know the bus
本文:Hi, You're so gentle and careful, which means you're a nice babysitter.

意訳すると、
「そのバスくらい知っとるわ。ったく、お前この野郎しつこいな、ガキ扱いしやがって」
ってところだと思います。
はいはい、すみません。

そして当日(つまり本日・2/26)、私が10時に何とか間に合うバスに乗ってほっとしていたところで、彼女から「今バスに乗ったよ」というメール。

時は午前9時42分。ああ、バス正常に運行しているようだね。

春の訪れをちらつかせて人々の服を一段薄くさせたあと、すかさず冬に逆戻りして冷たい風を吹き付けるサディスティックな天気の中、天然サディスティックな留学生を震えながら待つ私であった。

2012年2月24日金曜日

音楽の引っ越し

ついに手持ちのCDをすべてiTunesに取り込んだ。こうなれば、もはやCDドライブなんて要らない。

というわけで、以前からやろう、やろう、と思っていて実行に移せなかった、CDドライブが有るWindowsマシンから無いMacbook Air(の外付けHDD)へiTunesのデータ一式を移す作業を始めた。
まだ引っ越しの作業がこれっぽっちも進んでないというのに…

移行に当たっては
 あたりの情報が役に立った。

ただ、私の持っている外付けHDDはMacにしか対応出来ないフォーマットなので、このHDDのiTunesフォルダを共有状態にして(MacからWindowsでも読み取れる共有状態を設定するのがこれまた面倒なのだ)、WiFiを介して直接データを送り込む方法をとった。
所要時間は3時間ほど。暇なのでだいぶ本を読み進めることができた(引っ越しの準備しろよ)。

すべての移行作業が終わったと思ってiTunesを開いたら、読み込めない音楽データが100件ほどあった。移行前にライブラリを整理する作業を怠ったツケである。また余計な時間を消費した。

移行が完了してiTunesを使ってみると、これが元来Mac用のソフトであったことがよーくわかる。軽さが違う。インターフェースがよくなじむ。


こちらが私のMacbook Airにおける視聴の様子。iTunesは直接使わず、左下に Bowtie(スキンは Unnamed)で曲情報を表示し、操作するときは Alfred のiTunesプレーヤー機能を使っている。
Alfred はSpotlightを発展させたような機能を持つランチャーソフトで、基本機能は無料で使えるが有料パックを購入するとクリップボードやアドレス帳の管理、さらには第三者が作った多種多様な拡張機能を取り込める。有料パックの目玉機能の1つがこのiTunesプレーヤー。数ヶ月前に有料パックを買ったときから試してみようと思っていたのだけど、期待以上に使えるプレーヤーだった。嬉しい。

さて、これで作業用BGMの環境は整ったので、いい加減、引っ越しの準備を進めますかね…

2012年2月22日水曜日

果てしなき作業

引越の準備を始めると、なぜか、今まで考えもしなかったこと・完全に放置していたことをやりたくなってしまうものだ。

院試が終わってからは、自宅にあった取説の類と研究室の論文などを延々とスキャンする作業が始まり、異常なまでの時間を費やしてしまった。

もちろん引越自体の準備は進んでいない。


そして今はまっているのがこれ。


私は百枚くらいCDを持っていて、過半数はクラシックなのだけど、ほとんどを全く聞かないまま棚の中で埃をかぶらせていた。その存在を意識するのは引越のときくらいであり、それでいて積み込み作業で一番面倒な奴らである。

ジャケットデザインが気に入らないものを中心にいくらか減らそうと思い、中の音だけは欲しいので、片っ端からiTunesに取り込み始めた。ついでに調子に乗って、それ以外の(今まで聞いてなかったけど手放したくない)CDも取り込み始めたので大変なことになってしまった。

クラシック音楽のCDというのは、同じ音源を元に何枚ものCDが出るし、すぐに廃盤になる。だからネットを検索しただけではジャケットが手に入らないことが多い。研究室に行けばスキャナーはあるけど、それだけのために研究室へ持って行くのも馬鹿馬鹿しいのでデジカメで撮影→フォトショップで調整→取り込みという手間を掛けて一枚一枚登録することにした(結局研究室に持って行った方が早かったんじゃ?とは言わないでくれ)。

登録した奴、ちょっと出てこい
曲のタグ付けも面倒だ。まず、クラシックの場合は「アーティスト」の欄に作曲者(e.g. チャイコフスキー)を入れるべきか指揮者や演奏者(e.g. 小澤征爾・ボストン交響楽団)を入れるべきかで迷う。私は後者を選んで、作曲者名はタイトルに入れるようにした(作曲者には専用のタグもあるし)。しかしネット上のデータベースから自動的に取り込まれる音楽情報には何のルールもないので大変だ。

結局、全てのCDについて、事実上ジャケットから音楽情報まで全て手入力しているような気がする。

 もちろん引越自体の準備は進んでいない。

2012年2月18日土曜日

何とかなった。

一次試験終了直後は非常に惨めな状態だったが、実際のところ、半分は「とりあえず大量に問題を与えるから書けるだけ書いてみろ」と試されているところがあり、半分は「どれほどのものか試してやろう」という趣旨の試験だったようだ。

一次試験は首尾良く通り、二次試験の面接も無事に終えて合格をいただくことができた。

私が志望した専修では私しか受験生がいなかったが、研究科全体では42人の受験生がいて、合格者は14人だけ。3分の1に入れたことを大事に考えて、3倍精進するつもりでいねばなるまい。

そんなわけで、4月からは吉田のあたりで過ごすことになった。
それまでは、引越の準備、それからもっと積極的に遊ぶ時間を設けたいと思う。

2012年2月13日月曜日

計画的なようでまったく計画性もなく

2月も半ば、夕方が近づき、外は雨。
院試の一次試験が非常に悲惨な結果に終わって、
明日の発表を前にして諦めムードすら漂う、そんな陰鬱な気分。

で、本当は進学先が決まったらブログを再開しよう、と思ってたんだけどそれも怪しくなり…
とりあえず気分を落ち着かせる一環として何か書いてみようと思った次第。

いいのかこんな突発的で適当にブログを始めて。

まあいいのさ、元々ブログを再開するなら、「あまり考えて時間をかけて文章を書くことはしない」ことを方針に決めていたから。

これで見事に試験が玉砕してたらブログ再開はなかったことにして他のことを考える可能性が高いけど、もし14日に一次選考が合格していたら正式に立ち上げよう。

そのときにこの文章はあえて残しておくので、絶望にうちひしがれていた私の暗い表情を想像して笑ってやってくれ!